2008年01月07日

▽機関車ならば

うわー。あっというまに七草。
松の内最終日となりましたねぇ。
早いなぁ。

今日は夜中にジョギングしながら思いついた詩を。
(へんな思考回路。)

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機関車ならば
真っ赤に燃える熱い炎をその頑丈な胴体のうちに秘めて
歯を食いしばって前進していくのだ。
沿道の子供たちの両手を広げた歓声を受けながら。

新幹線ならば
流れるような未踏の速さを目指して
精密な冷静さでおのれを限界まで高めていけばよい。
人々皆が誇りに思うその栄誉を勝ち取るために。

ケーブルカーならば
誰もがあきらめた急勾配を
緻密に緻密に辿っていこう。
山の頂を手繰り寄せ、乗客に眺望の感動を届ける喜び。

地方の小さな路線なら。
今日も同じ線路を行き還り、
人々の生活を送り届ける。
手すりをつかんで降りる老人の小さな感謝のつぶやきを受け流しながら。



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走っていて息が上がって疲れてきた時に、
「あー、なんか自分は今機関車のようだろうか」
と、思いついたら一気に連想が進んでしまいました。

自分は普段はケーブルカーかなー。やっぱり地方路線かなー。
そこまで味は出せていないか。トラム路線なんてところかもしれない。
他にもありそうですね。

***

年をとってくると、自分のことが当然になってくるのが嬉しいですね。
(オヤジオバサン肯定派)
昔はこんな詩はひっそりと胸にためていたもんですが。
今じゃこんなに臆面もなく。
好きなものは好き。
よんなーよんなー。  
Posted by 青陶舎 工房主 青柳 at 03:06Comments(0)TrackBack(0)

2006年12月06日

▽生産は消費の対義語ではない

秋の海
生産は消費の対義語ではない。
生産とは貪るものの口に我が身を与えることではない。
まして、痛みも無く糧を得ることでもない。

生産は消費の対義語ではない。
生産とは大地を剥ぎ取り尽くしていくことではない。
生産とは大切に守り育ててきたものを売り渡していくことではない。
生産とは はぐくんでいく力。

生産は消費の対義語ではない。
本物の生産は、生産を互いに支え合うためのものなのだ。


生産とは消費の対義語ではない。
けして消費という幻影を見据えてはならない。

消費という言葉を見つめたときに、とたん、
生産の形を借りた消費に成り下がるだろう。
自分を売り払い金の束に積み替える哀しい行為に飲み込まれるだろう。

もう一度、生産に立ち返ろう。
おぼれかけた消費の海から帰ってこよう。

私を生んだ大地と、私の力を信じる世界に。
ともに生きる人々の微笑を期待する時間に。

  
Posted by 青陶舎 工房主 青柳 at 02:08Comments(2)TrackBack(1)

2006年06月17日

●詩と歌と。

自分は、気分が高揚してくると、言葉がだんだん詩になってしまうという傾向があります。だから友達と別れるときも、再会したときも、手紙はいつしか短歌とか詩になってしまうという。自作のへなちょこのやつ。
…へんですよね。そこはだいたい自覚してます。もらった人に喜んでもらえているかどうか、はわかりません。(苦笑)

 裏を返していうと、自分は「詩」というものはかなり大切なものだと信じている、と。大切な気持ちは詩じゃないと伝わらないと思っているし、焼き物も、「詩」が感じられれば、最高だな、って思います。じゃ、その「詩」ってなんなのよ、って聞かれると、答えに困るんですが。

 ということで、ここでも時々、詩が出てくるかもしれません。自作のやつは基本的に恥ずかしいので、詩人の作品とか、時季にかなった和歌の紹介がメインになるかな。…いや、自作のを発表したくてうずうずしているのかもしれない。(笑)
  
Posted by 青陶舎 工房主 青柳 at 02:53Comments(0)TrackBack(0)