てぃーだブログ › よんなーよんなー@青陶舎 › ●想うこと・生きること › ● 新年の抱負 ーエゴを見つめる年。ー


+++++++++++ ● 青陶舎からのお知らせ ● +++++++++++  

5月「てぃぐま館 slowslow(豊見城・みちの駅)さん

                マグの納品をいたしました。
              →てぃぐま館 slowslow 


5月「山粋(大阪・豊能町)さん

                納品をいたしました。
              →山粋 -コーヒーと器- 
              →   山粋instagram 


5月「よーりよーり(大阪・旭区)さん

                納品をいたしました。
                →やちむん&生活雑貨 よーりよーり 
                →よーりよーりinstagram 


5月「やちむん ヤムチン(読谷・やちむんの里入口)さん

                納品をいたしました。
              →やちむん ヤムチン instagram 


5月「楓千夢(読谷・やちむんの里)さん

                マグの納品をいたしました。
              →楓千夢 instagram 


2010年01月07日

● 新年の抱負 ーエゴを見つめる年。ー

 年末から今年の正月にかけては信念を揺るがすような出来事があり、それについて思案しているうちに過ぎてしまいました。最初は暗い気持ちに心がふさがって、独りになる度にひどく落ち込んでいましたが、次第に問題がはっきりと見えてきたので、何も手につかなくなるほどふさぎ込むことはなくなりました。…でもまだ、心の整理はついてないので、仕事の手を止めてぼんやり考えては、気を入れ直して、を繰り返しています。

 ある事柄を通して、これからは、もっともっと「エゴ」について理解していかなければいけないなー、と思いました。他人のエゴ。自分のエゴ。夫婦同士のエゴ。友達同士のエゴ。社会のエゴ。時代のエゴ。実はエゴは常に世の中の隅々まで満ちている。優しい笑顔にも、親切な言葉にも、献身的な態度にさえ、驚くほど入念に、エゴは満ちている。

 今までは、争いのタネにしかならないエゴを、汚らしく忌まわしいものとして、遠ざけていました。自分の中では厳しく戒めるように努め、それをもって社会に参加しているつもりでした。でも、それゆえ、エゴの実態から目を背けることになってしまっていた。我知らず意識の隙間から漏れだしたエゴが目に見えないやっかいな形となって世の中に浸みだし、なんだか大きなエゴの溶液となって世の中に溜まり続けている。でも、自分はエゴにはしっかりふたをしているつもりでいるのでそのことには少しも気がつかず、操作することもできず、世の中に満たされたエゴにふりまわされ、引きちぎられそうになっているのに、ただ必死にこらえることしかできない。

 よく考えてみれば、エゴというものは、生きることと不可分な根元的なもの。ならば、目の前にあることを認め、見つめ、許して、そうして仕方なく愛せるようにならなくてはいけないんだな、と改めて思い直しています。例えて言えばですね、こう、放し飼いのヤギが尻をこちらに向けて糞をポトポトと歩きながらこぼしていくのを、仕方ないなーって見つめていくような。そんで、ま、自分もヤギになってポトポトと相手の目の前に糞をこぼして歩いているというのを許してもらう。みたいな(笑)。…伝わりますかね。 全然気持ちのいいものではないけれども、はっきり言えば不快なものなんだけど、でも、不可欠というのなら、その不快な感じも含めて、どこか愛おしく感じるようになれればいいな、と。そして、ひどく外れたものに対しては、しっかりと、諫める気持ちを投げかけられるようになっておきたいな、と。

 これは私だけのことではなくて、今の日本の社会全体にも当てはまる問題のように思います。日本の社会の歪んだエゴ、特に経済社会の病的に肥大したエゴはなるべくはやく気づいてみんなで操れるようにしないと、とんでもないことで終焉を迎えそうな気がします。

 自分にとっては今年はエコではなくエゴの年になりそう、
となんか不思議な新年の抱負でした。


  • LINEで送る


Posted by 青陶舎 青柳 at 11:18│Comments(4)●想うこと・生きること
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。旧年中はおつきあい有り難うございました。
ずっと以前から更新を心待ちに愛読しておりましたが、こちらでは初めてのご挨拶となります。どうぞよろしくお願いします。
年頭に良い文章を読ませて頂きました。
本当に「エゴ」のことは皆忘れたような顔をして生きていますね。誰もが死の際まで付き合い続けなければならないものなのに。
思えば、この世の多くの苦しみは自他のエゴに原因があるのでしょう。しかし、「その不快な感じも含めて、どこか愛おしく感じるようになれればいいな」、そんな思いで毎日を生きたいものだと、つくづく思いました。
Posted by 水垣久 at 2010年01月07日 16:24
誰でも私利私欲は持っているもの。
オイラだって「偽善者~!」って言われるんですから。(笑)

先日、ある人に「初詣は人の欲望が集まり過ぎているから、あまり良くない」って言われました。
確かに、私利私欲だらけだもんね。

ま、世知辛い世の中ですが、セラビの精神でやっていこうかなと思っています。

お抱えの問題がわからないので何とも言えないけど、ゆっくりゆっくり解消できれば。

オイラのように全く関係ない第三者に言えばスッキリすることかもしれないし、相談、乗りますよ♪
Posted by タケ at 2010年01月07日 16:30
>水垣久さん。
花筵掲示板でのように 水垣様、の方が呼びやすくなってしまいましたね。当初は違和感を覚えていたのに、おもしろいものです。

こめんとありがとうございました。
そしてお返事大変遅くなりまして失礼いたしました。

拙い作文に丁寧な御感想を頂き大変嬉しく思いました。自分でもはっきりと何を表現したいのかわからないまま、ともかくこみ上げてくるものを言葉にしただけですので、果たして、自分がその言葉のどれだけを理解しているのかまだ、つかめておりません。これから人生の時間の中で、今回の言葉を検証していきたいと思っています。
では、これからも永いおつきあいをよろしくお願いいたします。
水垣様、ご家族様にも 良い時間が訪れますよう、お祈りいたします。
Posted by 青陶舎 at 2010年01月20日 00:35
>タケちゃん。
お返事遅くなりました。

コメントありがとう。
本当に嬉しかったです。

何が原因で不調だったのか、わからないのですが、
そしてそれが単なる不調だったのか、
人生の過ごし方を変える転機だったのかもまだわからないのですが、

とりあえず、自分から発言ができるような心持ちに
復活してきました。

いやー、人生いろいろありますわ、
ということをこの年末年始は勉強しました。

黙したまま、長い時間を過ごしてしまい、
本当に申し訳ありませんでしたが、
タケちゃんが遠くで一緒にいることを感じていました。


また、遊びに来てね。
Posted by 青陶舎 at 2010年01月20日 00:44
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。